学習という行為をするためには、たった2つの方法しかありません。
つまり、何かを勉強したいと思うなら、2つにひとつ、あるいはこの両方をするしか方法はありませんので、勉強を始めることは意外と簡単です。
その方法とは
1.人に教わる
2.書籍に教わる
です。
■人に教わる
これがもっとも効果的で、もっとも単純な方法。
その技術を持った人に、「教えてください」と言いに行けばいいです。
※もちろん、教えてくれるかどうかは別物ですが…。
相手は、上司・先輩であったりすることもありますが、私などは後輩・部下であることが少なくありません。
もちろん、それ(学びたいこと)を体系的に教えてくれるという場合は少なくて、その人の行動やその人との協業から自然と学びが発生していることがおおいので、「教えてください」と正面切ってお願いしていない場合でも、教わるという行為は成り立ちます。
たとえば、ドラッカーは『プロフェッショナルの条件』の中で以下の様な経験を述べています。
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私がなぜ長い問、知的な世界において仕事を続けることができたかについて、次に紹介したいのは、勤め先の新聞社の編集長で、当時のヨーロッパでも指折りのジャーナリストだった人から教わったことである。
当時、記名の平均年齢は 22 歳前後という恐ろしい若さだった。その中で私は、間もなく 3 人の論説委員のひとりに抜擢された。それほど優秀だったわけではない。記者として一流だったことは一度もない。実は、1930 年ころの当時、私の地位に就くべき入たち、年でいえば35歳前後の人たちが、ヨーロッパ全体に払底していたからだった。
※第1次大戦で大勢の働きざかりが死んでいた。そのため、重要な責任ある地位に、私のような若い人間を充てなければならなかった。太平洋戦争が終わってら終わりのころ、10年後の1950年台の半ばから終わりの頃、私が訪れたころの日本に似ていた。
当時 52 歳くらいだったその編集長は、大変な苦労をして私たち若いスタッフを訓練し、指導した。
毎週末、私たちのひとりひとりと差し向かいで、一週問の仕事ぶりについて話し合った。
加えて半年ごとに、1度は新年に、1度は6月の夏休みに人る直前に、土 曜の午後と日曜を使って、半年間の仕事ぶりについて話し合った。
編集長はいつも、優れた仕事から取り上げた。次に、一生懸命やった仕事を取り上げた。その次に、生懸命やらなかった仕事を取り上げた。最後に、お粗末な仕事や失敗した仕事を痛烈に批判した。
この年に2度の話し合いの中で、いつも私たちは、最後の2時間を使ってこれから半年問の仕事について話し合った。
それは、「集中すべきことは何か」「改善すべきことは何か」「勉強すべきことは何か」だった。
「私にとって、年に、2度のこの話し合いは大きな楽しみになった。しかし新聞社を辞めた後は、そのようなことをしていたことさえ忘れた。
ところがその後、10 年ほどたって、アメリカでこのことを思い出した。
1940の年代の初めのころ、アメリカで大学の教授になり、同時にコンサルティングの仕事をしていた。
何冊かの本も出していたそのころ、フランクフルトの編集長が教えてくれたことを思い出した。
それ以来私は、毎年夏になると、2週間ほど自由な時間をつくり、それまでの年を反省することにしている。
そして、コンサルティング、執筆、授業のそれぞれについて、次の年間の優先順位を決める。
もちろん、毎年8月につくる計画どおりに年を過ごせたことは一度もない。だがこの計画によって、私はいつも失敗し、今後も失敗するであろうが、とにかくヴェルディの言った完全を求めて努力するという決心に沿って、生きざるをえなくなっている。
P.F.ドラッカー(著) 『プロフェッショナルの条件』
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ドラッカーにこのやり方を教えた編集長は、ドラッカーにもっといい記事を書いてほしいと思っていただけかもしれませんが、ドラッカーは、それをすべての知的労働者にわたる定期的な検証と反省ということを学んだわけです。
「人に教わる」という行為は、ある仕事や協業を通じて、自分の学びに昇華させるということです。
昇華させたものごとの原理原則(答え)を教えてもらう、ということではないわけです。
※そういう意味で、人間稼業を40年もやったということは、40年間に出会ったすべての人達から教えられて、いまの自分がある、というわけですね。
■書籍から学ぶ
もう一つの学びの方法が、「書籍から学ぶ」という方法です。
例えば、ビジネススキルを学ぶ方法であれば、直接的に「ビジネススキル」に関する書籍を読むという方法ですが、べつに「歴史書」からでも学ぶことはできますし、「伝記」でも可能です。
ようは、読んだものをどのように解釈するのかによっています。
ドラッカーは、『プロフェッショナルの条件』の中で以下のように述べています。
★P100〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
●神々が見ている―フェディアスの教訓
ちょうどそのころ、まさにその完全とは何かを教えてくれる一つの物語を読んだ。
ギリシャの彫刻家フェイディアスの話だった。
紀元前 440 年ころ、彼はアテネのパンテオンの屋根に建つ彫像群を完成させた。それらは今日でも西洋最高の彫刻とされている。だが彫像の完成後、フェイディアスの請求書に対し、アテネの会計官は支払いを拒んだ。「彫像の背中は見えない。誰にも見えない部分まで彫って、請求してくるとは何ごとか」と言った。
それに対して、フェイディアスは次のように答えた。
「そんなとはない。神々が見ている」。
この話を読んだのは、ちょうど 『ファルスタッフ』を聴いたあとだった。
ここでも心を打たれた。今日にいたるも、私は到底そのような域には達していない。
むしろ、神々に気づかれたくないことをたくさんしてきた。
しかし私は、神々しか見ていなくとも、完全を求めていかなければならないということを、そのとき以来、肝に銘じている。
「あなたの本のなかで最高のものはどれか」とよく聞かれる。そのときには、次の作品ですと本気で言っている。
ヴェルディが 80 歳のときに、それまでずっと取り逃がしてきた完全を追求して、新しいオペラを書いたときの言葉通りのことを意味しているつもりである。
すでに私は、ヴェルディが『ファルスタッフ』を書いた歳を超えた。しかしちょうど今、2冊の本を構想し、実際に書き始めている。その二冊とも、これまでのどの本よりも優れたもの、重要なもの、完全に近いものにしたいと思っている。
P.F.ドラッカー(著) 『プロフェッショナルの条件』
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「私の生涯の作品の中で最高のものは、次の作品である」というのは、有名なお話なのでご存じの方も多いと思います。
私もこんなことを言ってみたいものだと思いますが、駄作の成果の連続で…。
「人から学ぶ」でも書いたとおり、人の行動はその人のためのものであって、だれかに教えるためのものではありません(そうでない場合もありますが、究極的には自己満足の世界です)。書籍も同じで、たとえ直接ビジネススキルを教えてくれる本であっても、それは著者が持っている崇高な目標のための一部にすぎないわけです。あなたのために書かれた書籍ではありません。
そこから何を学ぶのか、どの様な価値を見出すのかは、読んだ人自身の問題なわけです。
ある書籍を読んだとして、そこに書かれていたことから、自分にとっての価値ある情報を引き出し、それの実践を通じて、知識(ゲシュタルトと言ってもいいかも)を構築していくのは、本人にしかできないわけです。
人から学ぶ機会というのは、人間が生きている期間や環境によって非常に限定されます。
これが、書籍というツールを使えば、文字を残す文化を持った時代から現代に至るまで、洋の東西を問わず可能になります。集約されたエッセンスを得やすい環境がそこにあるということですね。
そういう意味で、書籍を読まない人というのは、結構損をしているような気がしてなりませんが、それもまた考え方次第かも。
■参考図書 『プロフェッショナルの条件』
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プロフェッショナルの条件 著者 :P.F.ドラッカー | プロフェッショナルの条件 検索 :最安値検索 | プロフェッショナルの条件 検索 :商品検索する |
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